父親を求めているのにいかに頼りない

子どもに垣間見せるのだ。

子どもの工作物をすべて取っておくことはできない
子どもの関係にも言える

つまり、発育の速度や加速現象の起きる年齢にも、個性があるのです。ですから栄養上の条件さえ整えておけば、あとは、子ども自身の中に秘められている発育の力にまかせるよりほかはないのですこのことは、一卵性のふたごの研究からも言えます。一卵性のふたごは生後間もなくより別の環境で育てられても、身長とか体型には大きなちがいは生じないのです。つまり子ども自身の発育の力は、生まれつきによるものと言えましょう。生まれつきに対して評価することになれば、宿命に対して評価していることになり、大きな誤りを犯していると言うべきでしょう。
母親が考えても不思議ではない。

幼稚園ではおそすぎることになる。

私の娘は、身長こそ低い子どもでしたが、病気も少なく、活動的でありました。とくに五歳のときには鉄棒の回転がクラスの中で一番上手だったと思います。私でさえ目が回るほど上手に回転をしました。これは、小さくて身が軽いからこそできる技術と言えましょう。短所のように見える要素が、実は長所にもつながっているのです。子どもを一つの要素だけから見て評価することの危険性を、しみじみ感じたものであります。
このように、身体発育一つをとってみても、今までの評価が誤っていたとしたら、ほかの点についても一つ一つ検討してみなければならないでしょう。これから、いろいろな点についてもよい子の評価について検討することにしましょう。
健康なからだをつくるのは強い心r病気が私を強い人間にしてくれた健康な子どもといえば、病気一つしない-という子どもを念頭におくでしょう。

子供ごころ

そのまさに申し分がないといEに食欲もあり、充分に睡眠をとり、うことになりそうです活動する子どもであれば、しかし、果してそうでしょうか。
の生育史です。
一つの例について考えてみましょう。
それは、私自身私の幼児期は、病弱児でした。東京にいたのでは育たないということで、五歳のときに当時流行の湘南地方への移転が行われました。しかし、その後も次々といろいろな病気をして、小学校三年生までは欠席の多い子どもでした。ところが、四年生の頃から丈夫になり、五、六年生は一日も休まず、皆勤賞をもらったのでした。このことについて、医学を学ぶようになってから検討してみますと、次々と各種の伝染病に罹り、強力に免疫体を獲得していたのだと考えついたのです。
バカロレアPYPの意識

先生は思わず声をあげそうになりました。

病弱に見えたのも、実は、丈夫になるための準備をしていたのですかか中学生の頃もほとんど病気をしませんでしたが、高校のときには、神経症にかかり、とくに今でいう心身症に悩みました。この悩みは、これも後になって検討してみますと、私の自我を伸ばすための大切な悩みでしたし、現在子どもの神経症や心身症を研究している私にとっては、極めて有意義な体験であったと思います。とくに医学部に入って医学を勉強したことは、それまでに誤って思い込んでいた医学の知識を整理するには絶好のチャンスでした。例えば、ミカンと牛乳を一緒に飲食してはいけないとか、八時間以上ねむらなければいけないとか、両親や教師に教えられたさまざまな医学的な知識が、とんでもない誤りであったことに気付いたのです。現在の医学的研究に対する大きな不信感も、このような過去の生育史に負っていると思います軍医として、終戦後の重症の患者さんを保護して帰国する途中で、パラチフスAに感染し、帰国したときにはかなり重症でしたが、そのお陰で、それ以後全く病気をしなくなり四十年間に一日休んだだけですし、しかも、五時間の睡眠時間で足りているのですから、こんな能率的な人生はないと思っています。

子どもと肉体的に深くつながっている。
高校という

父親が読み聞かせることによって

小学校に入って管理する物が少しずつ増えてくるそれも、幼少の頃に、病弱児であったことが幸いしているのですこのように、長い生涯の中で考えてみますと、病弱がかならずしも悪いとは言えません。
病気の苦しみを知っているだけでも、丈夫な人よりも、人生経験を深めているとも言えるのです。ですから、健康なからだをどのようにとらえて評価するかによって、その価値は全くちがってしまいます。
一方、湘南地方への移転は、私に、自然の中での遊びを充分に教えてくれました。四年生以後は、友人と急な崖を滑りおりたり、たくさんに冒険の機会が与えられました。水泳も上手になり、五年生のときに11キロメートルの遠泳に成功しました。
先生が話し合いをして例えば

経験のことに挑戦したいという意思をつ

一貫して痩せており、ガリガリ亡者のようでしたが、意志の強い人間にしてもらうことができたのですむやみな禁止は子どもを弱くするものは考え次第で、からだの問題も、心の持ち方によって、すっかり変わってしまいま溺愛したり過保護す。
とくに虚弱や病弱な子どもの場合に、からだのことにとらわれて、
に扱うことが、心までも弱い子精神的虚弱児にしてしまうことになりがちです。病虚弱児であればあるほど、心を強くすることによって、実は、
災い転じて福となすことができるのです。
ぜん息の子どももまた、本当は心を強くするよいきっかけを持っている子どもです。私は、朝と晩に乾布摩擦や冷水摩擦をおすすめしています。これらの方法が医学的にみてどのようにぜん息に影響するかについてははっきりしていませんし、医者によっては無意味だとする人もいます。