母親のそうした意識

子どもとは遊ばない

それでいて、口先だけは親切ごかしにお前のためを思うからだがなどと、うるさくてしかたがない。いいから、黙っていてくれと叫びたくもなるさ!若者たちはそう心の中でつぶやくそれをしも、心なき世人は、若者の拒絶反応であるとおっしゃるか。やっぱりわかっていないんだな、と若者から軽蔑されそうである。大人諸君に申し上げる。放っておけばいいのです。怒った顔をして。
父親も悪いが母親の罪はもっと深い。
母親はこどもの最初の教師で、その手によって三つ子の魂ができるのだが、教育のある女性が、思いのほかこのことに無頓着に見える。
また、インテリほど母乳を与えたがらないという。スタイルが崩れるからだそうだそれはともかくとして、母乳だけで赤ん坊が育つわけではない。

勉強嫌いを作っているのです。

心の糧として言葉を与えてやらなくてはいけないのである。
母乳語である。
これで新生児の知能はぐんぐん伸びるところが、母乳をやりたがらぬような母親に限って、この母乳語を与えるのにも熱心でないことが多い。昔は年寄りがついていたから若い母親が母乳語教育に手抜かりがあってもそこは何とかカバーしてくれたが、いまはババ抜きの時代である。こどもは言語的基本があやふやなままで大きくなってしまう。
こういう育て方をしておいて、幼稚園へ入れるときになってから、目の色を変える。とんだ見当違いである。幼稚園では絶望的に遅すぎることをご存知ない、というのは幸福なことかも知れない。何でも学校の責任にすることができる。
それだけではない。母親は自分たちの幼いときが、いまに比べて物質的に貧しかったから、せめてこどもにはみじめな目には遭わせまいという気持をもっている。それでこどもを甘やかす。

 

母さんは喜ぶに違いありません

昔のように、こどもがたくさんあれば、たとえはじめは育児に失敗しても、あとで挽回することができるけれども、このごろのように、一人二人しかないこどもだと、総領の甚六になる率はたいへん高くなるひとりっ子は社会性がなく、引っ込み思案で、ウチ弁慶になりやすい、という。ひとりつ子でなくても兄弟がすくないと、社会性が乏しくなる。まして、母親による幼児のとばの教育がいい加減であれば、外との触れ合いを求めようにも、手段がない。人見知りの状態が固定してしまう。これを若者の拒絶反応と解する人があるのだろう。
弱い犬ほどよく吠える、というが、わけもなく攻撃的になる人は、たいてい、心の弱い人である。
父親もあります

子供の精神の荒廃状況

相手から攻められては困るという引け目のあるからこそ、窮鼠が猫をかむように立ち向かって行く。その勢いがあまりにものすごいから、ネズミはおそろしく強いのだ
ろうと思う人があってもおかしくはない。
いするのがあらわれる。
ネコの中にもネズミはおそろしい動物だと勘違本当に強いものなら、理由もなく拒絶的であったりするわけがない。
妙なたとえだが、酒が飲めないと思い込んでいる人を見ていると、ひどく乱暴に盃をあける。ふだん飲みつけない人間がそんなことをすれば、体がびっくりするにきまっている。

子供の心の中

その反応を見て、たったこれしきでこんなになるのではとてもいけない、と決めてしまう。
ゆっくり、自分のペースで飲むようにすればもっと飲めるのである。酒に弱いという先入主が結果的には拒否の原因になる。
ことばの離乳が完了しないまま大人になりかけた人間は、コミュニケイシヨンの機能が未発達である。これ位の心理的距離があるならば、こういう言葉遣いをすればよい、といった勘ができていない。遠い所にいる人に向かって近距離射程の言葉を発する。当然、向うに通じない。相手から見当外れの返事が返ってくる。それですっかり自信を失ってしまう。ゆううつになって、心が傷つく。自分のことをわかってくれるものはないのだと思ってしまう。そして、だんだん、拒絶的姿勢を固定させていく。

母さんの方が面白くなって調べ上げ

子どもの個人差についてその点でおすすめしたいそういう若者はか弱い存在である。自己防御の本能的態度として外界を拒否しようとする。それに現代はすこし刺激が強すぎる。弱い人はその刺激を遮りたいと願う。スネに傷をもつような人間がサングラスをかけたがる心理に通じる。心にサングラスをかけた若者は、いかにもこわもてのお兄さんのように世間から注目されるから、いっそう殻を固くして、かたくなな態度をとるようになるというわけだ根は親たちの、ことに母親の育児にある。


子どもの個人差についてその点でおすすめしたい 母親が考えても不思議ではない。 子どもたちは寂しい思いをするはずです。