母さんの声をしっかりと聞き分けている

母がどんなに叱ってもよい。

しつけや家庭環境のせいとはいえない
子どもに見せるのは究極

これを外面的には適応しているが、内面的な自発性は未成熟な子ども-と呼んでいます。偽りの
よいさであったのです。
ある子どもは、登校拒否を起こしたときに、両親に向かって今までのおれは、ウソだった!と叫んだそうです。そしておまえのせいだと言っては両親に攻撃的な行動をくり返しました。両親も教師も、子どもに偽りのよい子を強要していたのです。本当の子ども心童心が抑圧されていたのが、思春期になって爆発したのです。中学生のときに爆発してよかったのであって、もし、高校生以降に、とくに大学生のときに、それが爆発すると、何らか特定のイデオロギーと結びついたり、精神病のような行動をして社会を騒がすようなことになりかねないからです。
新聞紙上でそのような大学生の報道がされると、小学校時代の先生がおとなしい子だったとかそんなことをする子とは見えなかったなどと述べていることがあります
が、内面を見抜く目を持っていなかった-と言うべきでしょう。
子供を授けられた瞬間に初めて父

子供の生命を守ることが第一であった。

本当の素直な子とは、子どもらしい内面をそのままに現すことができる子どもです。大人に対していやだ!と言うことのできる子どもなのです。それをそのままにしておいてもよいと言うのではありませんが、まず、いやなものはいやだ!と言える子どもにし外面ばかりを見ていて、ておくことが大切なのです。
両親にしても教師にしても、決して立派な人格の持ち主とは言えません。
あなたは立派な人格の持ち主ですか?と質問されたならば、赤面して頭をかくばかりでしょう。もしそうだと答える人があれば、よほど傲慢な心の持ち主か、精神的な病気を持っている人です。自分の心の扉をちょっと開いて、その奥をのぞいてみれば、子どもには言われないようなさまざまな欲望がとぐろを巻いているのに気付くでしょう。

父親の恐ろしさを感じたのはその頃からのことだ。

未熟な人格の両親であり教師であることに気付くはずです。そうなれば、自分の言うことを素直にききなさいなどと子どもに言うことが、いかに傲慢な心の現れであることか格の大人に素直に従っていたのでは、ろくな人間にはなれません。子どもには、未熟な人格の教師や両親を乗り越えて、立派な人格の持ち主になってもらわなければなりません。
そのような人いつも素直な子どもの危険性について、わかっていただけたでしょうか。きちっと第一反抗期があり、その後も、くり返しくり返し反抗現象を示す子どもがよい子です。
勉強しやすいよう

学校でも困ると思うのです。

それによって、自発性が著しく伸び、自分で考える力をもった子どもに成長するのですママだって
の一言を謙虚に受けとめようそこで、子どもから反抗されたときには、なぜ反抗したのか、その原因について検討してみなければなりません。子どもにそれだけの力があり、子どもにまかせてもいいことなのに、口を出したり手を貸したりするようなことはないか-という点について考えてみる必要があります。そのような口出しや手を貸すような態度は、子どもを見くびっていることです。ですから、子どもが怒るのも無理はないでしょう。子どもは
まかしておけと主張するでしょう。子どもを弱体として軽蔑している大人には、そうした子どもの言葉に腹が立つのです。

子どもが難破しそうになったとき
成長すると親と同じことをする傾向がある。

母さんは声楽

いじめを注意したり止めたりする腹を立てるだけ未成熟な大人というべきでしょう子どもの反抗現象は、両親や教師も似たような誤りを犯しているくせに、子どもだけが責められたときに現れます。とくに口答えとなってそれが現れるのは、小学校二、三年生の頃です。
例えば、子どもが何か物を壊したときに、注意をしますと、ママだってやっているくせに!と反抗するでしょう。このときに、未成熟で傲慢な心の母親は、親に向かって何です!と怒りをぶちまけるでありましょう。カッとして暴力をふるう人があるかも知れまところが、謙虚な親は、子どもからの指摘に対して、ハッとわが身を顧みるでしょう。
そして、自分もいろいろ不注意や失敗をくり返していることに気付くでしょう。両親であっても、教師であっても、不注意や失敗をしながら毎日を送っているものです。それに気付いたならば、子どもからの注意をありがたく受け入れることができます。「本当ね、ママもいろいろ失敗するね。今度そうしたことがあったら、注意してね」と言えるでしょう。
子どもは覚えたての歌を唱いだす。

子供にだまされていることはあるものです。

真実を真実として認める姿こそ、素直というものであるはずで、そのような母親の言葉こそ、子どもにも自分の行為を反省する力を与えることになるのです。子どもに対して謙虚になることこそ、大人の人格にとって大切な要素です。禅の言葉に三尺の童子を拝すという言葉があるほどです。子どもの前に謙虚でいよう-という意味です。
素直という心のあり方を、単に外面的にとらえるのではなく、内面的にとらえることの
重要性について考えてきました。