子供の日常のすべての行動について

教育にあたる他の侍従に向けて

それに目をふさいで、ても、議論は大して進展しないのではないかと思われる。
現象だけを追いまわし
父よあなたは強かった戦争中に父よ、あなたは強かった
という歌が流行した。父親のことをあなたなどと呼ぶ語法は日本語にはない。あなたは対等か、それ以下のものに向かって使う第二人称。父親の権威の失墜はすでに戦時中から始まっていたのか。
それはとにかく、強かったが象徴的である。この歌は父親の武勲を称えるもので強かったは詠歎の心をあらわす。ところが、軽く扱われているニュアンスと読み合わせると、前は強かったが、いまはそうではない、の意味にもとれないことはない。

小学校に転校していた。

そして、このごろもう一度、昔のように強い父があらわれてほしいという声がますます多くなってきたもともと、父は強くなかったのではないか。
桃太郎はモモから生れた。モモはハラと同じ。
桃太郎君にはママはあれどパパはなくてもいい。
話にも出てこない。
それはオトギ話だと言わば言え。
聖書はどうだ。
聖母マリアさまは処女懐胎でキリスト人類には父親不在の時代が長をお生みになった。父親はやはり不要?だったのである。
く続いたらしい。説話はそれを暗示している。
いつごろからかわからない。それでは都合が悪くなったのだろう。父よ、のだと、はげまされて、父親は強くなった。家長制時代の始まりである。
あなたは強い父を強くしたのはだれか。母、つまり、妻だ。奥さんがご主人を立てて権威づけをした。
どうしてそんなことをしたのか。ひとつには働き蜂の亭主をよりよく働かせるため。もうひとつは、こどもの教育にとって、家庭に具体的な権威が求められたのであろう。父よあなたは、強い。
戦争にまけた。アメリカからブロンディ漫画がやってきて、弱父強母の手本を示した。
ストッキングとともに強くなった女性がこれを見のがすわけがない。ストッキング以上に強くなった。女が強くなれば男はひっこむほかはない。

 

母親が間違う

奥さんがご亭主をバカにするブロンディ型家庭がいかにも新しいように錯覚された。テレビの連続ドラマなど、多くこのバリエーションの夫婦である。父親はだんだん影が薄くしかし、これは、また桃太郎時代へ逆戻りしただけのこと。別に驚くことはない。
しては、バカにされていた方が気が楽でいい。万事、女まかせ。
男と夫婦はそれでよくても、困るのはこどもの教育。父親の弱い家庭に問題児が多いらしいことはすでに早くから注意されている。家庭教育し、家長制度的なところがいくらか必要なのかもしれない。
いまほど教育に熱心な時代はないと思われる。こどもの教育のためなら何でもすると親たちは言う。もし厳父慈母がこどものためだとわかったら、戦後四十年の行きがかりをすてて、もう一度、父よ、あなたは強かった
を合唱することにしたらどうか。
母の肖像を。

両親はきまって過保護です。

教育の男性化教育に対する関心が高まっているように感じられるこのところまた、もっとも、これまでも、教育に冷淡であったわけではない。
しているように、過熱気味ですらあった。ところが、このごろになって高まってきた教育熱はそれとはひと味違うのである。どこがどう違うか。一般にはまだはっきりはとらえ教育ママという言葉が象徴られていない。
政治の世界でも教育が大きな問題になることがすくなくない。自治体選挙では学校群の存廃を争点として勝負がきまるなどという例がすこしずつだがふえているが、選挙民の意議の高さは、一に教育、二に景気、111に物価だといわれる。変われば変わるもの。かつては票にならないというので政治家諸公から歯牙にもかけられなかった教育である。こんなにモテるようになって、すこし気味が悪い。

大学入試を含む

もともとあまり勉強好きとは見受けられない政治家に色目を使われると、教育がダメになるといって心配する潔癖派もあるが、それはすこし公式的にすぎよう。案外学校嫌いの人間の考える教育の方が現実に合致するかもしれない。
最近の教育論に見られるひとつの進歩は、おしの思想が影をひそめたことだろう。何でも学校がやってくれる。やってもらいたい、という甘ったれた考えがすくなくなった。
いまでは、教育に対してえらそうな口をきいている経済界も、以前は、この
お上思想の信奉者であった。都合の悪いことはすぐ忘れるものだから、当の実業家諸氏はとっくに忘れているに違いない。そしてだんだん財界の教育容喙は露骨になっうかいまず企業側は学校教育の非能率を難じた。教師側も決してうまく行っているとは思っていなかったから、さっそく恐縮改善しましょう、とこれに応じた調子に乗った実業界は、学校はもっと役に立つ教育をやれ、と宣告した。まっさきに槍玉に上がったのが、英語教育、読めるだけの語学ではしかたがない。会話ができて、手紙の書ける教育にしろ、と注文をつけた。学校を出たらすぐ使いものになる学生をつくれというわけだたいへん虫のいい考えである。役に立たせたかったら、会社へ入れてから訓練するのが筋であるが、そんな手間はかけていられない。われわれの税金でやっている学校教育だ。

母はまた正月には必らず四人

先生が話し合いをして例えばもっとわれわれの都合を考えてくれてもいい、というのだろう公私を混同した教育観だが、ほとんど批判を受けることなく天下を風靡した。
学校という国立学校をたくさんつくったりもした。
工業専門自分のプライベートな利益のために、ついかなるときも、卑劣であるパブリックなものを利用しようとする考えは、いそういう世相を反映して教育の女性化が始まった。
ても不思議ではない。
教育ママという人種が大量に発生し現在の学校教育を荒廃していないという人はすくないだろう。どうして、こんなことになったのか。企業と家庭の両方が、自分あって他あることを知らぬエゴイズムをふりまわした結果、学校が公教育の場であることをやめようとしているからである役に立つ教育といったケチな目標でなされることが、こどもの魂に火をつけるわけがない。さきの英語教育にしても、役に立つ英語のスローガンが広まるに反比例して、学習意欲は低下した。いまでは英語などなぜやるのかとうそぶいてはばからない高校生がわ
んさといるもうふた昔前のことになるが、大学紛争も、もとはと言えば教育の女性化に端を発していた。


先生が話し合いをして例えば 母さんの声をしっかりと聞き分けている 母親が考えても不思議ではない。