子どももきち

先生のことを責める前

その結果、次々と幼い子どもがするような行動、例えば甘えてみたり、妙にすねてみたり、泣き騒いだりする行動が現れましたが、お母さんはそれをよく受けいれてくれました。約1年かかってようやく中学生らしい行動に戻り、今度は、本心からお母さんの手伝いを始めたのです。つまり、お母さんにほめられなくとも、お母さんが困っているときには積極的に家事を手伝うようになり、何も言わなくても、進んで家事をするという姿に立ち返りました。
思いやり-とは、相手の気持になって、それを汲み取る力です。これを、受容とも共感とも呼んでいます。受容は、大人にとってもなかなか実現できない心です。お母さんにしてもお父さんにしても、あるいは先生にしても、あなたは受容の能力がありますカーときいたときに、どのようにお答えになるでしょうか受容の能力のある人は、滅多に怒ることはありません。相手を悪く思うことはできません。こう言えば、いかにむずかしいものであるかがおわかりでしょう。受容の能力のある人が多くなれば、住みよい社会ができるはずですし、両親が受容の能力の持ち主であれば
子どもの気持をよく受け入れるでしょうから、子どもの幸せははるかに増すでしょう。母さんに怒られるけど

母さんはそのたび

子どもになったのでは困ります。子どもの気持を受け入れるには?
子どもの受容の能力を育てるには、どのようにしたらよいでしょうか。それには、両親や教師が、自分自身の受容の能力をひろげることが第一です。相手の感情をありのままに受け入れようとする努力です。そのためには、自分の感情をありのままに見ることが必要です自分の心の扉をそっと開いて、自分の感情の動きをのぞいて見てごらんなさい。恐ろしいほどに、邪心がうごめいているのを見ることができるでしょう。他人を羨む気持や妬む気持が動いてもいるでしょう。自分を目立たせようとする気持もあるでしょう。エッチな気持を持つことだってあります。それをそのまま他人に話すことはできないくらいの邪心です。まして、子どもには見られたくないでしょうし、そのような人間が子どもの教育に当たっていることを思うと、恐ろしくさえなるでしょう。
このように、自分の感情を
ありのまま見ることのできる人は、他人の感情をもあリのままに受け入れることができるようになるのです。
子どもに向けられます。

経験できる範囲のことしか表現できない。

母がいても父がいてもやっぱ
そして、互いに、哀れな心の持ち主であり、互いに、の教育には、そのような面が大きいことを知っていなければなりませんその状態から少しでもよい状態に高めようと努力するでしょう。
真私の子どもが三年生のとき、子どもを布団の中に入れて、寝物語をしていました。私は寝そびれている子どもに、よく添い寝をしました。子どもが寝そびれているときには、何か心に不安を持っていることがあるからです。添い寝をしていますと、何となくその不安を打ち明けたくなるものです添い寝ばかりではありません。膝の上に乗っているときとか、肩をすり寄せてきたときには、何かを打ち明けたい気持があるものです。私の子どもも、学校で先生から叱られたことを話してくれました。

才能をちゃんと見抜き

子育てに全力投入できる。
そのときの気持になって聞いてやるだけで、子どもは落ちつきを取り戻し、深いねむりに入るものです。ある日、私の子どもは、ふと、
パパが三年生ぐらいのときに、どんな子どもだったの?ときいてきました。どんな子どもだったろうかと、私はその当時のことを思い出してみたのです。第一に思い出されたのは、学校でうんちをもらしたことでした。腹具合が悪く、トイレが間に合わずに座席でしてしまったのでした。それを思い出したときに、私は言うべきかどうかためらいました。父親としての権威に差し支えるのではないかと思ったのですしかし、思い出した以上は話してきかせることの方が正直だ、ということに思い当たりました。そして、ありのままを話してきかせ、うんちをもらしたあと1カ月もの間、友達が回りに来ては鼻をつまんでくせえくせぇと私をからかったことも付け加えました。その度に泣いたものでした。
その話をきいたとき、子どもは非常に私に同情しましたし、父親に強い親近感を持ったのです。そればかりではありません。似たようなことで、彼の友達をからかったことを告白し、可哀相なことをしたなーと言っていました。思いやりの心が育ったのを、私は感じ取ったのです。そして、正直に話してきかせて本当によかったと思いました。

子どもの友達の中

学校も家庭もそう考えている。
もし、パパは一生けん命勉強して、先生にもほめられたなどとうそをつけば、子どもは私に親近感を持てなかったでしょうし、思いやりの心も育たなかったでしょう。
われわれは、大人になると童心を忘れます。そして、さもまじめな人生を送ってきたように装います。とくに教師という職業につくと、それが著しくなり、嘘つきの権化みたいになってしまいます。そして、道徳的なことばかりを話したり、子どもを訓戒したりする
ような人間になってしまいます。両親にしてもそうです。親になると、つい、子どもの前では
ありのままの自分を表現できなくなり、えらそうな顔をしていたくなるものです。
そのような状態で子どもと接しているのでは、本当の思いやりは育たないものです。

子どもの側に立った叫びです。

意志の強い子どもに育てるために子どもが稽古事をやめたいと言い出したとき意志の強い子ども-といったときに、どのような子どものことを思い浮かべるでしょうか。一つのことを始めたら、も一致すると思います。
それをどこまでもやり抜く力という点では、どのお母さんところが、どのようなことについて考えるかが問題です。例えば、ピアノとかそのほかの稽古事などについて、その点が問題となることがあります。練習を怠けることが多く次第に教室に通う気がなくなり、やめたいと子どもが言い出したときに、この子は意志の弱い子だ!と思うのではないでしょうか。そして、そんな意志の弱いことではだめだ、どうしても続けなさいと命令するでしょう。ここでやめさせたのでは、ますます意志の弱い子どもになるのではないか-という不安が、お母さんの気持の中に起きていると思います実は、現在一流のピアニストなどになっている人たちでも、子どものときには幾度かやめたいと言い出した例が少なくありません。


子どもに向けられます。 高校生ぐらいにかけては不安定な時期 子どもはその優しさにどっぷり浸ってしまいます。