子どもは覚えたての歌を唱いだす。

いじめである。

親に権威がなくて、どうしてこどものしつけができよう。つよくなくてはいけない父親が弱くなっていたのは、こどもの健全な発達のためにもよくないことである。評判など気にしないで、あえてこわい父親になる必要があるそれによって、この世に秩序というものがあることを自然に教えることができるのである。何でも思うようになると思って育つ子ほど不幸なことはない教育はなるべく早いうちに基本を固めてしまわなくてはいけない。
は始まる。この段階ならかなり思うようになる生れてすぐから教育大学などは冷え切った鉄を打っているようなものだ。たたいて、すこしへこめば大手柄である。そんなところへ入れるのに目の色を変えるのが教育熱心な親なのであろうか。大学へ入れる心配がいけないというのではない。

両親からほめられたい

結構である。しかし、それくらいなら、熱い鉄のうちに、どうして、もっとすべきことをしておかないのか、と言いたい。
大体、教育は学校でしてくれるものという考え方が古い。十九世紀的である。家庭教育というと箸のあげおろしくらいと思っている人たちが多いが、そんなものではない。人間の基本はやはり、幼いときの家庭でつくその主任の先生は母親、別格主任が父親。
主任だからといって母親が思い上がってはい
けない。父親をバカにしたりするのは論外である。
乳語教育以後にいろいろある。
父親でないとうまく行かないことが離よい子を育てたかったら、母親が賢明であることだ。

 

子どもさえもいます

自分は学校の成績がよかったということなどを鼻にかけるようでは賢母の資格はない。自分で勉強するのが好きだったというだけでは、優秀な先生になれるという保証にはならない。
高い教育を受けた若い母親でも、ゼロ歳からのわが子の先生としてはまったく無知、未経験でありうることを謙虚に反省すれば、すばらしい家庭教育が可能になる。父親にもその反省は同じように必要であろう。

先生は、よく、あの子はよい子だとほめます。両親も○君はよい子なのに、お前は何という子かと、仲のよい友達を引き合いに出して、自分の子どもに訓戒することがあります。その際のよし子とは、どのようなことを基準にして判断しているのでしょうか?その点を明らかにしておく必要があります。
母の愛と関心は彼ひとりにのみ注がれる。

学校の帰りには回り道をして

その基準が誤っていれば、判断もまたちがってしまいます。誤った判断にもとづいて子どもの指導をすれば、子どもの心身の発達にゆがみを与えてしまいます。そのような例が実は少なくないのです。
そこで、よい子の基準について、心とからだについてのいろいろな面から検討してみましょう。そして、これまで考えていたよい子の基準が正しかったか誤っていたかについて、はっきりさせましょう。本当のよい子のイメージを作り上げて、これからの教育によい効果が現れるように、努力しましょう。
がんばれ、小さい子ども、痩せた子ども食欲不振、偏食はなぜ起こるのか?

母の生きる姿勢があったからこそだと思えるのです。

身体発育のよい子どもといえば、体重も身長も平均値以上あって、がっしりとした体格を考えるかも知れません。そして、身長が低かったり痩せていたりすると、発育が悪いと思うかも知れません。発育が悪いということになれば、何とかして発育のよい子どもにしたいと願うでしょう。発育をよくするためには、栄養を与えることを第一に考えるでしょうそれには、まず、たくさん食べてもらわなければなりません。それも、栄養価の高いものをと考えるでしょう。頭を痛めて作ったご馳走を、たくさん食卓に並べ立てるでしょう。
そうなると、そのご馳走を熱心に食べてほしいと願うことになるでしょう。無理をしてでも、多くの量を食べてほしいと、強制したくもなるものです。
そのようなお母さんの態度に対して、子どもはどのように反応するでしょうか。

教育は陰日向のあるきの人間を作っている

母さんこの前間違ってしまってごめんなさいねそれを嫌がるようになります。はっきりと拒否をする前に、食事中に遊んだり、ゆっくりゆっくり食べたりするでしょう。中には、食事時間が一時間以上もかかるという子どもが現れます。そうなると、お母さんの日課が妨げられてしまいます。
お母さんにしてみれば、さっさと食べてほしいでしょう。さもないと台所が片付きません。そこで、早く食べなさいとせかすことになります。ところが、なかなかそれに従いません。


母さんこの前間違ってしまってごめんなさいね 子供の日常のすべての行動について 勉強しやすいよう