子どもの尻を叩きまくるわけです。

父親に与えられた重要な役目といえよう。

母さんは病気になって
子供というものは本当にいろいろ

これが精神的虚弱児です
安全教育が子どもから冒険を奪ったするべからず式教育の問題安全を守る-ということは、危険な場所や危険なものに近付かないようにし、けがをしないように注意するとともに、とくに交通安全の規則を守ることを意味しますそこで、けがが一つもなかったり、交通事故に遭わない子どもをよい子と考え、けカをしたり、交通事故に遭った子どもを
悪い,としてしまいがちです。しかし、この点については、もう一度考え直してみる必要があります。
まず、けがをしない子やけがの少ない子については、子どもらしい活動すなわち遊びが少ないのではないか-という点を検討してほしいのです。友達とも余り遊ばずに本ばかり読んでいる子どもは、けがをしようにもその機会がないのです。それに反して、活動のさかんな子どもは、けがの頻度も高くなります。
この点は、サッカーやラグビーの試合などを見ていれば、すぐにわかるでしょう。選手ですから、相当に技術もすぐれており練習も積んでいるはずですが、白熱してきますと必ずといってもよいくらいにけが人がでるものです。
子どもが闘争を知らずに育つ現代

母さんはイチゴを冷蔵庫から持ってきて

けがをしたくはないと思っているし、熟練している大人たちでさえも、激しい活動に際してはけがが起きるものです。まして未熟な面があり、不注意の多い子どもたちですから、活動がさかんであれば、大人が注意の目を光らしていても、けがをします。
とくに冒険は、危険を冒すことであり、冒険心はそれによって養われるのですから、危険に直面させる状況を子どもに与えなければなりません。そこで、危険な場所やものに近付けないようにする-ということが問題になってきます。冒険心を養わないような教育では、子どもの積極性や意欲は育ちません。
そこで、諸外国では、子どもの遊び場の中に冒険コーナーを設けたり、冒険の園
などを設けて、子どもの冒険心を満たす努力をしています。ただし、その際に重要なことは、口や手こそ出さないけれども、きちっと子どもの活動に目を向けている指導員がいることです。子どもにやるだけの冒険をやらせて、万一のときには飛び出していくことのできる能力を持っているのが指導員ですその点では、わが国の場合には、かりに冒険コーナーを作っても、よい指導員をおいてくれません。

母親は自らが実践

そして、……するべからずといった危険防止の規則を作ることに一生けん命になってしまいます。これでは全く冒険心は育たないのです。
安全教育と冒険教育安全教育をする以上は、それと同時に冒険教育を行わなくては、箱入りの娘や息子を作るようなものです。現に、幼稚園や小学校では、子どもが少しでも冒険をしようものならすぐに禁止されてしまいますし、禁止に従わない子どもは問題児にされてしまいます。
この点を指摘しますと、教師の口から出る言葉は、決まったように親がうるさいからだということですし、マスコミもうるさいということです。親たちから、「もっと冒険心を養ってほしい、けがの一つや二つぐらいはものともしない」と言ってもらえれば教師は勇気百倍するでしょう。
この点について、思い出すのは、チェコスロバキアから帰ってきた四年生の男の子のことです。日本の小学校に入ってから、ノイローゼのようになってしまいました。それは
チェコスロバキアの小学校では
子どもに向けられます。

子どもの生きる力を脈動させる

「先生が見ているときには相当に暴れてもよいが、先生がいなくなったら、子どもたちで協力して静かにしよう」という教育を行っていたのです。
これは、安全管理にとって非常に重要な意味を持っています。子どものけがは、教師のいない場において起きているというのが、過半数だからです。
帰国したその子どもは、先生の前で冒険をしてみたところが、たちまちにして怒られ打たれ、立たされてしまったのです。そして、教師の姿が消えて子どもたちが騒ぎ出したときに、友達に向かって
静かにしようなどと言ったものですから、友達から村八分になってしまったというわけです。

子どもたちは二人とも退屈して席を立ち
父親が単なる推定の親子関係だけでなく

母さんのお気持ちもわかります。

子供は向こうへ行ってらっしゃいこの例から、わが国の教育には、教師の前では
よい,という教育が、非常に多くあるのに気付きます。教師の前だけでのよい子を作るという教育は、陰日向のあるきの人間を作っている教育そのものです。前述の男の子も、だんだんに陰日向を学習し教師の前ではおとなしくし、教師がいなくなってから冒険するという形で、学級に適応する子どもになったわけですが、まことに皮肉というべきでしょう。
ひなた子どもには、危険だと思うことがあっても、それに立ち向かって、それを乗り越える力を養ってあげる必要があります。それによって自信が1つずつ積み重ねられて、危険な場所かどうかの判断がついていきますから、安全な子と言えるでしょう。
子どもが闘争を知らずに育つ現代

しつけの方針はとてもしっかりしています。

子どもは、その年齢によって異なりますが、どのように危険かどうかの認識が充分にできていませんし、多少の危険を感じても遊びの面白さから、それに挑戦することになるのです。また、はっきリと危険だということであっても、それに挑戦するだけの意欲を育てる必要があるのです子どもの活動について考えてみますと、明治の末期から廊下は走らないことが生活指導として決められていながら、今日まで守れないのも、むしろ当然のことと言えましょう。子どもが、教師のようにのしつのしっと歩いていたのでは、子どもではないのです廊下を走っていく子どものあとから、走ってはいけないのよと言いながら走り出す子どもがいますが、これがいきいきとした子どもの姿なのです。もちろん、廊下を走らないとと申し合わせることは必要ですが、走った子どもを悪い子にしないことが必要なのです。
交通安全については、事故を起こした子どもについて検討してみますと、その大部分が運転者の不注意にありますし、親の管理が充分でないという点も加わります。