子どもの個人差についてその点でおすすめしたい

子ども時代は大人になるための準備期間ではない

中年の五年間、ほんのちょっと付き合っただけである。そして、永い間、柔道のことは忘れていた。
その後、いろいろのところで、足をふみ外したりして、あわや横転、と思うことが、何度あったかしれないが、そのたびに、自分でも驚くほど、うまくかわして、カスリ傷ひとつ負わない。われながら、あっぱれと感心して考えてみるに、どうも柔道の受け身のおかげらしいと思い当ったのである受け身というのは、いまにして思うと、危険教育だったわけである。何百回、何千回ころぶ練習をして、どういう風にひっくりかえれば、いちばん安全であるか、理屈ではなく、体が理解した。それがとっさの場でものをいう。この歳になって、しみじみと柔道をしてよかったと思う。
危険なことをすれば、いくら注意をしても、まったく事故皆無というわけには行かない。

  • 勉強と関係ないじゃない
  • 子どもを抱いたりかわいがってはいけない
  • 子どもを意識過剰にさせちゃあだめなんです。

子どもはやりたい放題危険があるからこそ危険教育の実があがるのだ。危険をおそれていて、真綿にくるむようなことをしていればどうなるか。さがさなくても実物見本がごろごろしている。ちょっと
したことで、すぐ大怪我になる。
怪我をしたことのないこども、怪我を極度におそれる母親に育てられたこどもは、いのちを大切にすることを忘れる。ちょっとしたことで中学生、高校生が自殺する。親がプラモデルを買ってくれないといって自殺した小学四年生のニュースが新聞に出ていた。
獅子はわが子を千尋の谷へつき落とす、という。何のためにそんなことをするのか。考えなくてもわかっている。獅子は獅子なりの危険教育をしているのである。われわれは、ひょっとすると、動物の知恵にもおとるのではなかろうか、とそんなことを考える。
立ちどまるアリが歩いているのを見ていると、ときどき立ちどまっている。コーチングは子どもの個人差についておすすめ

 

子どもにも毎日コツコツやる

どうしてなのかわからないが、それがいかにも思慮ぶかげに見える。また、ハトが歩いているとき、立ちどまりはしないが、首を周期的に後へ引く。まるで、しゃっくりでもおこしているみたいだ。これで目の位置が一時的に停止するから、立ちどまっているのと同じ効果があるのではあるまいか。そんなことを空想する歩き出したばかりの赤ん坊も、二、三歩進むと立ちどまる。おそらくそこでバランスをとりもどして、次の歩行への準備をするのであろう。まわりの大人は息をのんで、その立ちどまりを見守るけれども、その意味を深く考えようとはしない。
先生がはっきりしていない。
しつけなければなりません。
休んだりしないで、どんどん歩いてくれればいい、と願う。
われわれは大きくなると、もう赤ん坊のような歩き方はしなくなる。
のように見えるけれども、そうとばかり言い切れないところもある。
これは一見、進歩碁、将棋など勝負の世界で焼きが入るということを言うらしい。どんどん頭角をあらわしてきた人が何かの拍子で負けがこむようになる。そうするともう、しばらくは、何をしてみても勝てない。その苦しい時期をくぐり抜けて、また勝てるようになると、焼きが入ったのである。この強さは水をくぐってきた鋼のようで、もうちょっとくらいではびくともしない。本当に強い人は、かならず焼きが入っているのだという。
はがね順風に帆をあげて出世してきた役人などには、人間としての魅力に乏しいことがよくある。

 

子供たちをよんでそれぞれに始末させた。

そういう人が思いもかけない挫折に遭い、浪々の生活を送るといった不遇をかこったあと、また、カムバックすると、こんどは見違えるほど人間の幅が大きくなっている。これも焼きが入ったのだ学生が、病気で休学したとか、入試に失敗して1年遊んだとかいうのも、人生の歩みからすると立ちどまりに当たるだろう。弱かった人が伝染病をしてなおったら、本人もびっくりするような頑健な体になったという例も多い。生れてから医者にかかったことがないと自慢していた人が、かりそめの病気でポックリ逝ってしまうかと思うと、幼いときいつまで生きるかと言われた人が、案外、天寿をまっとうする。ときどき病気をして、立ちどまるのがいいらしい。
秀才ほどスランプをおそれる。鈍才にとっては日々これ不如意だから、少しくらいの頓挫はいっこうに平気である。明日には明日の風が吹くさ、くらいに思っている。それでスランプの方が恐縮して退散する。秀才がスランプ恐怖症にかかるのは、学校が立ちどまることを教えず、馬車馬のようにひたすら走るのがよいと思っているからである。

勉強もされた。

それが自然の大理にさからうことすら考えようとしない。
実際にはちゃんとうまく行っているから、考えなくても、適当に休み休みし、くしたものである人間、よ人間は、老若男女を問わず、毎日、大きく立ちどまっている。どんなブルドーザーのような人でも、かならず立ちどまる。毎夜の睡眠である。その睡眠がいかに大切であるかはものを食べないでも、かなり長く生きられるのに、全然眠らせないと、たちまち死んでしまうことでもわかろうというものだ体のためばかりではなく、精神にとっても、睡眠と休息きわめて重要な意味をもっている。


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